2022年3月27日の礼拝メッセージ

聖書箇所:ルカの福音書23章13~25節

主題聖句:神は、罪を知らない方を私たちのために罪とされました。それは、私たちがこの方にあって神の義となるためです。(第二コリント5章21節)

①イエスを十字架につけたのはユダヤ人

 ユダヤ人たちは「汚れを避けようとして、官邸の中に入らなかった」(ヨハネ18:28)。そのようにきよさを追求する彼らが、罪のないイエスを「ねたみから」死刑にしようと企んだのは実に滑稽です(マタイ27:18)。外面的汚れに対しては非常に敏感で、律法を厳格に守ろうとしますが、内面的汚れに関しては全く無頓着でした(マタイ23:27)。自分の姿を見つめて悲しむことも悔い改めることもしなければ、あなたもユダヤ教指導者と同じです。

②イエスを十字架につけたのはピラト

 ピラトは「死に値する罪が何も見つからなかった」と三度も繰り返し、何とかイエスを釈放しようとしましたが、ユダヤ人たちの声に負けて十字架刑を命じました。ピラトはイエスに「真理とは何なのか」(ヨハネ18:38)と尋ねておきながら、結局ユダヤ人たちを恐れて真理に背を向けてしまいました。あなたも真理から逃げていませんか。世を恐れて妥協したり、保身のため偽ったりしていませんか。もしそうならあなたもピラトと同じです。

③イエスを十字架につけたのはバラバ=この私

 極悪非道のバラバが赦され、罪のない御子イエスが十字架につけられました。常識では絶対ないことです。赦されたバラバは他でもないあなた自身です。「神は、罪を知らない方を私たちのために罪とされました。それは、私たちがこの方にあって神の義となるためです」(第二コリント5:21)。