2022年10月16日の礼拝メッセージ

聖書箇所 使徒の働き7章54~60節

主題聖句:

見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます。(使徒の働き7章56節)

本日の説教要旨:「私の身によってキリストが」

①聖書に精通したステパノ(1~53節)

 ステパノは、イスラエルの歴史を振り返った上で、約束の救い主イエスを十字架につけたユダヤ教指導者たちの罪を鋭く糾弾しました。その弁明に指導者たちは全く反論できず、歯ぎしりするのみでした。私たちも聖書に親しみ、「希望について説明を求める人には、だれにでも、いつでも弁明できる用意をしてい」ましょう(Ⅰペテロ3:15)。

②天の開かれたステパノ(54~56節)

 指導者たちの憎悪の中で、ステパノは「聖霊に満たされ、じっと天を見つめて…神の右に立っておられるイエスを見て」、平安そのものでした。「キリスト者は、東西南北の他にもう一つ、上という方角を知っている。だから四方から患難が襲ってきても、神のみもとに逃れることができる」(山室軍平師)。天を仰ぎ見つめる習慣をつけましょう。

③キリストのように生きたステパノ(57~60節)

 ステパノの言葉に激怒した指導者たちが「石を投げつけ」て殺そうとしている最中、ステパノは「私の霊をお受けください…この罪を彼らに負わせないでください」と、イエスの十字架上の祈りに酷似した祈りをささげました(ルカ23:46、34)。

 キリストのように生き、キリストのように死んでいったステパノは、「サウロという青年」の心に大きな楔を打ち込みました。迫害者サウロは、後に復活のイエスに出会って劇的に回心し、伝道者パウロに造り変えられます(第9章)。ステパノの祈りと死は無駄ではなかったのです。ひとりの人の生き方が、周囲の人の人生に多大な影響を及ぼすことがあることを思い、自分の人生を大切に丁寧に生きましょう。「私の願いは…私の身によってキリストがあがめられることです」(ピリピ1:20)。