2020年12月のメッセージ

2020年12月27日

主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。
その恵みはとこしえまで。
          詩篇118:1

 この一年神さまのことばによって支えられ、困難の中から救われてきました。
1.主の助けはいつまでも
 信仰生活を支える御言葉があることは幸いです。今年一年は新型コロナウイルスによって私たちの私生活は大きく変わり、委縮し、恐怖や不安が増し加わる中を過ごしてきました。聖書の神さまは困難の中から呼び求める者の声を聞き、応えてくださるお方です。そして、小さく縮こまってしまったところから、広いところへと連れ出し、リフレッシュさせてくださるお方です。この神さまは信じる者の味方であり、助け主です。いついかなる時も味方となってくださり、困難の中から救い出します。
2.主の恵みはとこしえまで
 この詩篇の作者はそのような経験をしたのでしょう。主がご自分の民とした者を救い続ける事実は決して変わることのない約束です。たとえ人が神さまから一時的に離れたとしても、神さまから救われたという事実は変わることがなく、神さまは恵みを与え続けます。この一年は落ち込むことがたくさんあったと思います。ストレスがたまり、人を傷つけてしまったこともあったと思います。振り返っても何も良い思い出など浮かんでこないという方もいるかもしれません。しかし、その時に小さな喜びであったとしても何か良いことがあったならばそれは神さまからの恵みです。主に感謝しましょう。

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2020年12月20日 クリスマス礼拝

ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。
          マタイの福音書2章2節

 私たちがクリスマスを迎える心の準備を教えていただきましょう。
1.救い主誕生の知らせを受けて
 ヘロデはユダヤの王でした。これは歴史的事実です。ヘロデは猜疑心が強く、王位を守るために妻や息子たちさえも惜しまずに殺害するような人物でした。彼がユダヤを治めている時、東方の国から博士たちが来訪し、「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか」と尋ねました。博士たちは星を調べる人で、調べていくうちにユダヤ人の王が生まれた事、聖書に救い主誕生の預言が書かれてある事を知り、エルサレムまで星に導かれてやって来たのです。博士たちは救い主誕生の知らせを受けて喜びました。しかしヘロデやエルサレムの人たちは喜びませんでした。自分の身に降りかかる出来事を想像して不安になったのです。
2.救い主待望のゆえの喜び
 博士たちは再び星に導かれて、イエスさまの元まで導かれた時大きな喜びに包まれたのです。博士たちはイエスさまを王として礼拝をささげ、贈り物をささげました。私たちがクリスマスをどのように過ごすのかはイエスさまとの関係によって決まります。イエスさまはあなたの王でしょうか?それとも自分自身が王でしょうか? クリスマスを迎えるふさわしい心はイエスさまを救い主として心に迎え、感謝することです。

2020年12月13日 アドベント3週目

その名をイエスとつけなさい。この方がご自分の民をその罪からお救いになるのです。
          マタイの福音書1章21節

 マリアとヨセフが思い出すクリスマスはどのようなものでしょうか。彼らは神さまに身をゆだねて、救い主の誕生に関わっていきました。
1.非現実を受け入れる
 救い主イエス・キリストは聖霊によってマリアの胎内に宿りました。現実的に考えるとあり得ないことです。婚約者のヨセフも混乱したことでしょう。マリアのことを考え、神さまのことを思う時に、ヨセフは公の場に出るのではなく、一人の証人の前に出て密かに別れようと決断しました。しかし夢の中で天の使いから、マリアは聖霊によって身ごもっていること、生れてくる子どもは救い主であることを告げられます。ヨセフはこの言葉を受けて、マリアと生きていくことを選びました。
2.現実を生きていく
 マリアをそのままの状態で受け入れたヨセフは、非現実的なことを現実世界の中で生きていくことにしました。頭では理解できず、説明もできないことですが、神さまを信じて、その身をゆだねたのです。クリスマスは三位一体の神が深く関わり、人と共に行われた救いの始まりです。そして神であるお方が私たちのところに降られ、「神が私たちとともにおられる」ことが実現しました。神さまを信じてみことばを受け入れ、現実世界の中を歩ませていただきましょう。 

2020年12月6日 アドベント2週目

しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、
鷲のように、翼を広げて上ることができる。
          イザヤ書40章31節

 歳に関わらず、人は疲れを覚え、倒れてしまうことがあります。当時のイスラエルも疲弊し希望が見えない中を生きていました。
1.イスラエルの悲しみ
 戦争が起き、略奪があり、捕囚がある中、人びとの心は疲れきり、どこに身を寄せればいいのか分からない状態にありました。彼らは神さまに見捨てられたと勘違いし、自分たちの道は神さまの前に隠れていると訴えました。イザヤはイスラエルに神さまがどのようなお方であるのかを語ります(28-29節)。
2.イスラエルの回復
 心も体も精神もすり減り、悲観的になってしまいやすい現実社会です。その中で主を待ち望む者こそが主から力を与えられると言われています。力を与えられた者は空高く舞い上がって飛んでいる鷲のように、翼を広げて上ることができるとあります。イザヤ書40章からはイスラエルにとって慰めや励ましとなる預言が与えられています。たとえ罪を犯し、悪に染まっても、終りはありません。神さまはご自分の民を救うために回復の道を与えられました。イエス・キリストこそ世の中の暗闇を照らし、引き上げるために来られました。暗い世界で生きていたとしても「主を待ち望む者に力が与えられる」幸いがあります。