2025年3月23日の礼拝メッセージ

聖書箇所 マタイの福音書 第16章1~12節

主題聖句:

パリサイ人たちやサドカイ人たちのパン種に、

くれぐれも用心しなさい。

      マタイの福音書 第16章6節

本日の説教要旨:

「パン種警戒警報」

  主イエスは「パリサイ人たちやサドカイ人たちのパン種に、くれぐれも用心しなさい」と言われました。ほんの少量であってもパン生地全体に浸透して膨らませる「パン種」は、聖書では多くの場合、悪い意味で用いられています(良い意味での用例が13:33)。主イエスが言われたのは、「パリサイ人たちやサドカイ人たちの教え」のことです。偽善的なパリサイ人と世俗的なサドカイ人、まるで正反対の両者ですが、主イエスに敵対する点(主イエスを救い主と認めようとせず、目に見える「しるし」を要求する頑迷な態度)では一致していました。

 自分のわずかな知識・経験を神よりも上に置き、世の常識や自分の偏見・先入観を神よりも優先して神を推量しようとしていないでしょうか。主イエスの十字架と復活という最大最高の「しるし」があるのに、どうして目に見える「しるし」を他に求めるのでしょうか。不信仰という名の大きな石が心の中で邪魔している限り、神の偉大さや恵み深さを知ることなどできないでしょう。また、主イエスを信じていると口先では言いながら、信仰のことは礼拝の時だけで、あとは自分の力だけを頼りに頑張って生きていくようでは、神とそのみことばが「無くてならぬもの…取り去ってはならないものである」(ルカ10:42口語訳)ことを人々に力強く証しできないのも当然ではないでしょうか。

 主イエスは私たちにも「信仰の薄い人たち…なぜ論じ合っているのですか。まだ分からないのですか…覚えていないのですか」、どうしてそんなに思い煩っているのか、わたしの守りや助けがあったことを覚えていないのか、わたしがともにいるではないか、と語りかけておられます。心の中に悪いパン種があると、人生は暗く希望のないものになります。神のみことばこそ、あなたを生かすパン種です。いのちのパン種で養われ続けましょう。