2025年11月16日の礼拝メッセージ

【 聖書箇所 】

詩篇第119篇105~112節

【 金  言 】

あなたのみことばは

私の足のともしび

私の道の光です。

      詩篇第119篇105節

【 説教要旨 】

「みことばは足のともしび、道の光」

      木村勝志牧師

 当時の「ともしび」は、わずか1m四方、自分の一歩前を照らす程度の明るさだったようです。「人生、一寸先は闇」、いつ何が起こるかわかりません。それゆえ私たちは、ともすると遠い将来まではっきり照らし出し、見通せるような強い光を求めがちです。試練や苦難のトンネルの中にあるときは特にそうで、どうしたらここから脱け出せるか、その先はどうなっているのか、先の先まで知りたくなります。しかし神の「ともしび」は、一歩手前をほんのり照らす程度の「ともしび」なのです。しかしそれは神の恵み、神のご配慮なのです。それで十分なのです。これまでの歩みや様々な出来事を、「みことば」と照らし合わせながら自分で考え、神に祈り、誰かに相談しながら、正しい選択ができるようにしていてくださいます。神はそのために必要な聖書を備え、「ともしび」としての「みことば」を与えてくださいます。神の「みことば」こそ、私たちの足元を安全に照らす「ともしび」であり、私たちの生涯を導く「光」なのです。さらに私たちには、「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです」「わたしは世の光です。わたしに従う者は、決して闇の中を歩むことがなく、いのちの光を持ちます」(ヨハネ14:6、8:12)と言われる救い主イエスがともにおられるではありませんか。

 そのように「みことば」に導かれながら正しい選択をするために不可欠なのが、「絶えず祈」ることです(Ⅰテサロニケ5:16~18)。「絶えず祈」るとは、神は全宇宙・全世界の支配者であり、すべての出来事の背後には神のご計画があることを認め、最善をなしてくださる神に信頼し、神に拠り頼んで生きていることです。「私たちにあるわずかな光を喜びましょう。そしてすべての影を取り去ってしまうような強い光を求めないようにしましょう」(ヘンリ・ナウエン)。

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