2026年1月25日礼拝のメッセージ

【 聖書箇所 】

マタイの福音書 第17章22~27節

【 金  言 】

しかし、あの人たちをつまずかせないために…納めなさい。

       マタイの福音書 第17章27節

【 説教要旨 】

「つまずかせないために」

      木村勝志牧師

 二度目の受難予告に弟子たちが「たいへん悲しん」でいるとき、「神殿税を集める人たちが…来て」、「あなたがたの先生は神殿税を納めないのですか」と言いました。ペテロは不要な摩擦や誤解を避けたい一心から、主イエスに相談することなく、「納めます」と即答しました。「そして家に入ると、イエスのほうから先にこう言われた」。「税や貢ぎ物」を納めるのは、「自分(王)の子たち」ではなく「ほかの人たち」なのだから、「子たちにはその義務がない」。「しかし、あの人たちをつまずかせないために」、湖で釣った魚の中の「銀貨」で「納めなさい」と。

 そうすることで、神の御子イエスには神殿税を納める義務がないことを弟子たちに教えると同時に、「あの人たちをつまずかせないために」納税義務を果たされました。真理に関わることについては一歩も譲らない主イエスですが、そうではない今回のような件では、「つまずかせないために」制度に従う寛容な態度を示されました。

 「キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられ…自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました」(ピリピ2:6~8)。このように「神としてのあり方」を放棄された主イエスは、他にも、正しく評価される権利、正しく報いられる権利、自己弁護する権利、安らかに死ぬ権利をも放棄されました。この想像を絶する主イエスのへりくだりのゆえに、今の私たちがあるのです。そのことを思うなら、自分の小さな意地やプライド、権利を放棄することなどたやすいことではないでしょうか。パウロは言いました。「何とかして、何人かでも救うためです。私は福音のためにあらゆることをしています」(Ⅰコリント9:22~23)。人々が救われるためなら、信仰の根幹を曲げない範囲において、主イエスもパウロも相手の立場を理解し、相手の視点から物事を考え、相手の興味を自分の興味としました。愛による同化です。だからこそ主イエスもパウロも、ユダヤ人にも異邦人にも、それぞれにふさわしい対応をすることができ、救いに導くことができたのです。「兄弟の後ろに立つ主を崇めよ」。ある牧師の説教題です。そうしたところには、主の臨在が輝くことでしょう。

---

【 祈祷課題 】主日礼拝の時に、毎回祈られています。

  • みことばに聴き、信じ従い、地の塩・世の光として歩めるように
  • 礼拝・教会学校に集う一人ひとりの祝福のために
  • 知多市周辺住民の祝福、日本と世界の平和と祝福のために
  • 家族・友人・知人が教会に導かれ、受洗者が起こされるように
  • 掲示板やホームページ等により求道する者が起こされるように
  • 会堂いっぱいに人々が集う礼拝、教会財政の祝福のために
  • 知多半島全域に福音を満たすことができるように