2024年12月29日 年末感謝礼拝のメッセージ
聖書箇所 マルコの福音書 第7章31~37節
主題聖句:
耳の聞こえない人たちを聞こえるようにし、口のきけない人たちを話せるようにされた。
マルコの福音書 第7章37節
本日の説教要旨:
「何もかも、すばらしい」
主イエスがガリラヤ湖に来られると、「人々は、耳が聞こえず口のきけない人を連れて来て、彼の上に手を置いてくださいと懇願し…イエスはその人だけを群衆の中から連れ出し、ご自分の指を彼の両耳に入れ、それから唾を付けてその舌にさわられた」。耳の聞こえない彼に、癒やしを肌で感じさせるためです。主イエスは神に拠り頼んで「天を見上げ、深く息をして(名詞形がローマ8:26「うめき」)」、彼の「うめき」をご自分の「うめき」として共感し、「エパタ(開け、の意)」と言われました。直接的には彼の耳と口が開くように、ということですが、さらに彼の人生が大きく開かれていくように、ということでもあったでしょう。その結果、「すぐに彼の耳が開き、舌のもつれが解け、はっきりと話せるようになった」のです。
耳があっても神のことばを聞こうとしない人(4:12)、口があっても神に祈らず、感謝せず、賛美しない人がいます。神と心が通い合う者に、人とも心が通い合う者にしたいと願っておられる主イエスは、あなた「だけを群衆の中から連れ出し」、あなたに向き合い、心が通い合うのを妨げている根本原因に触れて癒やそうとしておられます。「エパタ…開け」「心を開いて、わたしのもとに来なさい」と呼びかけておられます。あなたも主イエスに心の耳や口、人生を開いていただくなら、もっと自分らしく生き生きと、もっと天高く自由に羽ばたけるようになり、「この方のなさったことは、みなすばらしい(口語訳「何もかも、すばらしい」)」と賛美と感謝にあふれることでしょう。