2025年6月8日ペンテコステの礼拝メッセージ

【 聖書箇所 】

ゼカリヤ書 第4章1~14節

【 金  言 】

権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって。

      ゼカリヤ書 第4章6節

【 説教要旨 】

「わが霊によるなり」

      木村勝志牧師

 預言者ゼカリヤは、「全体が金でできている一つの燭台」に「二本のオリーブの木」から油が絶えず供給され、燭台が輝き続けている幻を見ました。その幻の意味を尋ねると、「権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって」との答えでした。「権力」とは組織的な力、「能力」とは個人的な力のことで、総督ゼルバベルと大祭司ヨシュアをはじめとする指導者たちは、「権力」にも「能力」にも不足していた上、神殿再建工事完成までには様々な困難の「大いなる山」がそびえていました。不信仰は、ごくなだらかな丘をも「大いなる山」に変えますが、主への全き信頼は、「大いなる山」をも「平らにされ」ます。自分の「権力」や「能力」の乏しさばかり見つめて不信仰に陥ったり、思い煩ったりしてはいないでしょうか。人間的な「権力」や「能力」に拠り頼むのではなく、「わたし(主)の霊」を注がれ、「わたし(主)の霊」に拠り頼むならば、困難の「大いなる山」も「平らにされ」、「かしら石を運び出」す、すなわち神殿再建工事を完成させることができるということです。

 6節の新約版が「神の御霊によって礼拝し、キリスト・イエスを誇り、肉に頼らない私たちこそ、割礼の者なのです」(ピリピ3:3)。「神の御霊によって礼拝し、キリスト・イエスを誇り」とするには、「肉に頼らない」ということが不可欠です。自己の真相に泣き、神の前に砕かれて十字架を仰ぐとき、十字架は私の犯した諸々の罪の身代わりであると同時に、自分ではどうすることもできない肉(古き人)がともにつけられて死んだ十字架であることを見出します(ガラテヤ5:24)。そして常に御霊に支配されながら歩み続けるのです。

 これらのみことばが自分自身のうちに徹底するよう祈り求めましょう。そうするときリバイバルが始まらないはずがありません。「神とともに歩んだ人の経験を見ると、神はその人を征服しないかぎり祝福されないことを知る。祝福の度合いは、神がその人をどれだけ征服されたかに正比例する。神に征服された者だけが、真の祝福を知ることができる」(A.W.トウザー)。

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☆聖餐式が行われました。

☆特別賛美「よき力に守られて」が聖歌隊によって披露されました。