2025年9月14日の礼拝メッセージ
【 聖書箇所 】
詩篇 第90篇1~17節
【 金 言 】
残りの日々を数えるすべを教え
知恵ある心を私たちに与えてください。
詩篇90篇12節(聖書協会共同訳)
【 説教要旨 】
「残りの日々を数えるすべを 教えてください」
木村勝志牧師
主は、永遠の昔から永遠の未来まで存在されるお方であり、「地と世界を…生み出」された創造者であり、「私たちの住まい」、頼もしい避け所です。それに対して私たち人間は、「人の子らよ 帰れ」と主が命じられるとたちまち死に、「ちりに帰らせ」られる、有限な存在です。しかもその生涯は「夜回りひと時ほど」、実にはかないものです。ただはかないだけでなく、「私たちの咎…秘め事」のため、神の「御怒りによって消え失せ」るべき存在です。そのように人生の最後が悲惨なだけではなく、人生の途上も「そのほとんどは 労苦とわざわい」。これが神から離れた人間の悲惨な現実です。
しかし神と人間について正しく認識する詩人は、「どうか教えてください。自分の日を数えることを(聖書協会共同訳「残りの日々を数えるすべを教え…てください」、ルター訳「私たちが死ななければならないということをよく考えることができるように教えてください)」と祈ります。人生から神を締め出すなら、あるのは人生の無常と自分の罪深さのみですが、「帰って来てください。主よ」と主を迎え入れ、主との関係が回復されるなら、一切は好転するのです。主イエスの十字架を信じるなら、朝には主の恵みで満ち足り、希望にあふれて一日を始めることができ(14節)、これまでの苦悩を補って余りある喜びで満ち足らせ(15節)、平凡な日常生活も「確かなものに」されます(17節)。「食べたり飲んだり」という「すべての労苦」の営みの中にも、「神の賜物」として「幸せ」がちりばめられているのです(伝道の書3:13)。「昨日をふり返れば、今日を神と共に生きる力が湧いてくる。そして、明日のことを神に委ねることができるようになる」(太田和功一師)。
もしかしたら今年の手帳に、自分の召天・葬儀の日が割り込んでくるかもしれません。「残りの日々を数え」つつ、これが地上最後の礼拝になるかもしれないという真剣な思いで毎週の礼拝に臨みましょう。死を避けるのでなく死を見つめながら、「今」という時を無駄にすることなく、神とともに全力で歩みましょう。
---

