2025年9月28日の礼拝メッセージ
【 聖書箇所 】
マタイの福音書 第17章9~13節
【 金 言 】
エリヤはもう来ています。そして人々は、彼について書かれているとおり、彼に好き勝手なことをしました。
マルコの福音書 第9章13節
【 説教要旨 】
「聖書に書かれているとおり」
木村勝志牧師
主イエスの変貌を目撃した「ペテロとヤコブとその兄弟ヨハネ」が、「山を下るとき」主イエスと交わした問答です。主イエスが本当に約束の救い主であるなら、その前に「まずエリヤが来るはず」(マラキ書4:5)なのに、エリヤはまだ来ていないから、主イエスが救い主であるはずがない、と律法学者たちは考えていました。そうした疑問に対して主イエスは「エリヤはすでに来たのです…」と言われ、「弟子たちは…バプテスマのヨハネのことだと気づ」きました。「人々はエリヤ(ヨハネ)を認めず、彼に対して好き勝手なことをし」たのだから、「同じように人の子も、人々から苦しみを受けることになります」、「多くの苦しみを受け、蔑まれると(聖書に)書いてある」とおり、十字架で死ぬために来臨した受難の僕なのだから、と主イエスは言われました(マルコ9:12)。
人がこう「言っている」ことと、聖書がこう「書いてある」こととが違う場合、聖書のほうを信じるべきです。しかし実は、主イエスを弟子たちに紹介したヨハネ自身も、「おいでになるはずの方はあなたですか。それとも、別の方を待つべきでしょうか」と揺らいだことがありました。それに対して主イエスは、「目の見えない者たちが見、足の不自由な者たちが歩き…」、聖書に「書いてある」とおりのことが実現しているではないか、と諭されました(11:2~6)。
「互いに論じ合」(マルコ9:10)うのもそれなりに有意義でしょうが、限界や間違いが付き物です。真の答えは聖書の中にこそあります。謙虚に「イエスに尋ね」、聖書に「書いてある」みことばを信じて進むなら、間違いのない確かな人生を歩むことができます。試練や苦難に襲われることがあっても、栄光に続く道であることはこれまでも体験済みでしょう。みことば正しい判断・選択をしたいものです。
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