2025年年10月5日世界聖餐日の礼拝メッセージ
【 聖書箇所 】
マタイの福音書 第17章14~18節
【 金 言 】
ああ、不信仰な曲がった時代だ。
マタイの福音書 第17章17節
【 説教要旨 】
「弟子たちにはできませんでした」
木村勝志牧師
「大勢の群衆がその弟子たちを囲んで、律法学者たちが彼らと論じ合って」(マルコ9:14)いたのは、主イエスと三人の弟子が山上にいる間、てんかんで苦しむ息子の癒やしに残りの弟子たちが失敗したからです。弟子たちの失敗と無力は、主イエスに反感を抱く律法学者たちにとって格好の攻撃材料となり、主イエスは「ああ、不信仰な曲がった時代だ。いつまであなたがたと一緒にいなければならないのか。いつまであなたがたに我慢しなければならないのか」と嘆かれました。誰かが助けを求めて来ても、私たちもその人の必要に十分応えることができず、失望させてしまうことがあります。そのとき、「…を…連れて来たのですが、治すことができませんでした」と言われているでしょう。弟子たちや私たちに何が欠けているのでしょうか。
十二使徒が選ばれた目的は、第一に「ご自分のそばに置くため」、第二に「遣わ」すためです(マルコ3:14)。いつも主イエスのそばにいて、そのご人格に触れ、教育・訓練を受けた上で遣わされる必要がありました。多忙な毎日の主イエスですが、「朝早く、まだ暗いうちに起きて寂しいところに出かけて行き、そこで祈っておられた」(マルコ1:35)のが常でした。それは、
①父なる神と交わるため…主イエスは祈りの中で神の愛と真実を実感し、今日もこの神に守り支えられていることを喜びとしながら、その日を始められたことでしょう。
②神から新しい力を得るため…主イエスは朝ごとに「主を待ち望む者」であったので、前日の疲れも癒やされ、神から「新しく力を得」、心労の尽きない働きに再び戻って行くことができたのでしょう(イザヤ書40:31)。
③自分の使命を確認するため…このとき主イエスは赤丸上昇中でした。たからこそ、朝ごとにこの世に遣わされて来た使命を再確認し、使命に堅く立ち続ける必要がありました。「クリスチャン生活においては、小さいと呼べるものは一つとしてない。自分の力で戦うことができるほどに小さなものは、何一つとしてないのである。神を離れては、どんなに些細な試練でも私たちの手に負えなくなる」(F.B.マイヤー)。
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