2025年11月9日の礼拝メッセージ
【 聖書箇所 】
マタイの福音書第17章14~23節
【 金 言 】
あなたがたの信仰が薄いからです。
マタイの福音書第17章20節
【 説教要旨 】
「信仰が薄いからです」
木村勝志牧師
主イエスが子どもを癒やされた後、「弟子たちはそっとイエスのもとに来て」尋ねました。「なぜ私たちは悪霊を追い出せなかったのですか」と。マルコが「この種のものは、祈りによらなければ、何によっても追い出すことができません」(9:29)と記すのに対して、マタイは「あなたがたの信仰が薄いからです」と記しています。著者マタイは、山麓で留守を守っていた9人のうちの1人で、主イエスの厳しいことばを真正面から受け止め、実に無力で情けない自分たちであることを正直に認めて書き記したのでしょう。私たちに必要なのも、この正直さではないでしょうか。神の前にも人の前にも自分の弱さや過ちを正直に認める、謝罪する、弁償する姿勢です。失敗しないことではなく、失敗した後、自分を正直に見つめる姿勢です。
弟子たちの無力の原因は、「信仰が薄い」ことにありました。この語は、厳しい現実に圧倒され、恐れや不安に支配されているときに語られていますが(8:26、14:31、16:8他)、ここだけは違います。むしろ現実を甘く見積もっていました。弟子たちには過去の成功体験があったからです(マルコ6:13)。自分でできるという自負や慢心がありましたが、最も肝心な祈りがなかったのでしょう。だからこそ、「この種のものは、祈りによらなければ、何によっても追い出すことができません」と言われたのです。祈りのない慢心も、目の前の大嵐に慌てふためくのと同じで、「信仰が薄い」ことなのです。信仰は、その時その時のものであって、昔持っていた信仰では今は役に立ちません。
主イエスの当時も現代も、神の民の最大の武器は祈りです。祈りこそ、信仰の戦いに勝利する最大の秘訣です。「からし種」のように小さな信仰であっても、その中に全能の神に対する生きた信仰と祈りが詰まっているなら、山を移すような、不可能と思えるようなことも実現するのです。それなのに私たちは、神が全能であることを頭では理解していても、心では案外信じていないのではないでしょうか。故郷ナザレでは「彼らの不信仰のゆえに…多くの奇跡をなさらなかった」(13:53~58)ように、私たち自身が神のみわざを妨げているということがあるのではないでしょうか。「神の大能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力が、どれほど偉大なものであるかを、知ることができますように」(エペソ1:19~22)。
---

