2022年5月22日の礼拝メッセージ
聖書箇所:サムエル記第一16章6~13節
主題聖句:人はうわべを見るが、主は心を見る。(サムエル記第一16章7節)
本日の説教要旨:イスラエルの初代王として選ばれたサウルは、度重なる不従順によって王位から退けられることになりました。主はサウルに代わる人物をすでに選び、その人に任職の油を注ぐようサムエルを「ベツレヘム人エッサイのところに遣わ」されました。彼の息子たちの中で「容貌や背の高さ」が実に立派な長男「エリアブを見て、『きっと…この者が…油を注がれる者だ』と思った」サムエルに対して、主は「人はうわべを見るが、主は心を見る」と言われました。七人兄弟すべて退けられた後、やっと連れて来られたのが八番目の「末の子」、「血色が良く、目が美しく、姿も立派だった」ダビデです。彼こそサウルに代わって王となるべく選ばれた人物でした。
「目は心の窓」と言うように、人間の身体の中で内面の心を最も反映する器官が「目」です。「目が美しく」とは、ダビデの内なる信仰の表れでした。「からだの明かりは目です。ですから、あなたの目が健やかなら(心が一つのものに集中している、の意)全身が明るくなります」(マタイ6:22)。ダビデは、主を真っすぐに愛して生きる人、いつも主に心を集中して信頼する人でした。その最たる例が、巨人ゴリヤテとの戦いの場面です(次章)。もちろんダビデにも大失敗がありましたが、罪を糾弾されると徹底的に悔い改めて赦されました(サムエル記第二11~12章)。「心を見る」主は「偽善」を憎まれます(マタイ23:13~)。主の前にどんな「覆い」(創世記3:7)も無益です。すべて知った上でなおも愛し受け入れてくださる主の前に正直でありましょう。