2022年6月12日 花の日(子どもの日)の礼拝メッセージ
聖書箇所:エペソ人への手紙5章6~14a節
主題聖句:あなたがたは以前は闇でしたが、今は、主にあって光となりました。光の子どもとして歩みなさい。(エペソ人への手紙5章8節)
本日の説教要旨:何も見えない「闇」は恐ろしい限りですが、もっと恐ろしいのは、造り主なる神から離れた霊的「闇」です。神を神とも思わず、罪を罪とも思わず、神に背を向けて自分勝手に歩んでいる的外れの状態を、聖書は「罪」と呼び、「以前は闇でした」と言います。そんな私たち人間を「闇」から救い出すために、神の御子イエスが「世の光」(ヨハネ8:12)として来てくださいました。「光」の働きの第一は、闇を照らし出すことです。人の目はごまかせても、神の目はごまかせません。御言葉に真実に耳を傾けるなら、自分の心の闇・罪深さが見えてくるはずです。「光」の働きの第二は、闇を一掃することです。人の子として降誕されたイエスは、全人類の罪を背負って十字架上で身代わりの死を遂げることによって救いを完成されました。イエスを信じ、イエスに「従う者は、決して闇の中を歩むことがなく、いのちの光を持ちます」(ヨハネ8:12)。私たちに最も必要なものは、「いのちの光」です。
イエスを信じた者は「世の光」(マタイ5:14)、「光の子どもとして」歩むよう期待されています。私たちの使命は、自分が脚光を浴び、注目を集めることではありません。私たちを通して神の存在が証しされることです。そのためには、「空しいことばでだまされ」ないよう、真実で変わることのない神の御言葉に絶えず耳を傾ける必要があります。「何が主に喜ばれることなのかを吟味し」、御心にかなった選択をしていく必要があります。そうすれば、「あらゆる善意と正義と真実のうちに、光は実を結ぶのです」。
※第二礼拝後、例年のように花の日訪問として、CS生徒の手紙と花を持って朝倉駅と知多警察署を訪問しました。
※正午、今日のみ言葉のように、陽の光が礼拝堂にふりそそいでいました。「光の子として歩もう」