2022年7月31日の礼拝メッセージ

聖書箇所 ルカの福音書15章11~32節

主題聖句:

この息子は、死んでいたのに生き返り、

いなくなっていたのに見つかったのだから。

      ルカの福音書15章24節

本日の説教要旨: 「喜び祝うのは当然ではないか」

①弟息子に対する父の愛(11~24節)

 弟息子は父親から財産を分与されると、早速父親の目の届かない「遠い国に旅立っ」て自由奔放な生活をした挙句、破局を迎えました。しかし幸い弟息子は「我に返って」家に帰るのですが、「まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけて、かわいそうにい、駆け寄って彼の首を抱き、口づけした」。そして父は、「雇い人の一人にしてください」という最後の言葉をさえぎり(19、21節)、しもべたちに祝宴の用意をさせました。この父親こそ父なる神の姿であり、弟息子こそ、万物の創造主なる神に背を向けて自分勝手に歩む人間の姿です。神から離れていては真の祝福はありません。罪を悔い改めて十字架を信じ、神に一歩踏み出すとき、神はそれ以上に走り寄り、罪を赦して神の家族に迎え入れてくださるのです(ヤコブ4:8)。

②兄息子に対する父の愛(25~32節)

 放蕩三昧の弟が父に大歓迎されているのを知った兄息子は怒り狂い、父に不平不満をぶつけました。兄の心の中にあるのは「自分は立派だ。弟とは違う」という傲慢です。父の愛も父と共にいる幸いも全く理解していませんでした。この兄息子こそ、パリサイ人や律法学者のように自分の義を誇る人の姿です。兄は弟のようには家を離れませんでしたが、父から心が離れていたという点では弟と同じ、家にいながら失われた放蕩息子でした。そんな兄に対しても父は「出て来て…なだめ」、走り寄る愛を示し、心の中の苦々しい思いを吐き出させようとしました。弟息子となるか兄息子となるか、神の愛の受取り方がその分岐点なのです。