2022年8月14日の礼拝メッセージ

聖書箇所 列王記第一17章1~16節

主題聖句:

私が仕えているイスラエルの神、主は生きておられる。

      列王記第一17章1節

本日の説教要旨:「主は生きておられる」

 アハブ王は異邦女性イゼベルと結婚し、彼女が拝む偶像バアルのために神殿を建て、その女神アシェラの像を造りました。「彼以前のだれよりも主の目の前に悪であることを行った」(16:30~33)最暗黒時代に遣わされたのが預言者エリヤです。

 エリヤはアハブに「私が仕えているイスラエルの神、主は生きておられる。私のことばによるのでなければ、ここ数年の間、露も降りず、雨も降らない」と宣言しました。これは、農作物に実りをもたらすと考えられていたバアルに対するさばき、挑戦です。事実、三年間、雨も露もありませんでした(18:1)。ご真実な神が一度語られたことは、必ずそのとおり成就するのです(イザヤ書55:11)。

 「私が仕えている(直訳「私がその御前に立つところの」)」とは、主人に従順に従い仕えるしもべの姿です。主のしもべエリヤは、「ケリテ川のほとりに身を隠せ…わたしは烏に…あなたを養うように命じた」と言われると、「行って、主のことばどおりにした」。「その川が涸れ」、「シドンのツァレファテに行き、そこに住め…わたしはそこの一人のやもめに命じて、あなたを養うようにしている」と言われると、やはりそれに従いました。常識的には実に心細い限りですが、信じて従うエリヤにとって、「私が仕えているイスラエルの神、主は生きておられる」ことを実体験する毎日でした。

 私たちにも、エリヤが身を隠して神の養いを受けた「ケリテ川」、毎週の礼拝や毎日の静思の時が必要です。そうでないと些細なことで思い煩ったり慌てふためいたりすることになります。解決策を探し回る前に、まず生ける神を求めましょう。