2022年10月9日の礼拝メッセージ
聖書箇所 使徒の働き5章1~11節
主題聖句:教会全体と、このことを聞いたすべての人たちに、大きな恐れが生じた。(使徒の働き5章11節)
本日の説教要旨:「神を畏れて生きる」
初代教会は麗しい愛の共同体でした(4:32~37)。「ところが」、そこにサタンが忍び寄ってきました。アナニア・サッピラ夫妻が「土地を売り」、「代金の一部を自分のために取っておき」ながら、全部献げたかのように装って名声を得ようとしたのです。
「クリスチャンは真っ赤な嘘はつかないが、ピンク色の嘘はつく」と言われます。自分をよく見せるため、保身のため、言い訳のために偽ることがありませんか。この夫妻を笑うことなどできないのではありませんか。そんな私たちなのに、神があわれんで、御子イエスの十字架のゆえに赦してくださるゆえ、生き伸びているのです。神のあわれみがなければ、私たちは皆、神に打たれ、この礼拝堂は空っぽのはずです。「実に、私たちは滅び失せなかった。主のあわれみが尽きないからだ。それは朝ごとに新しい」(哀歌3:22~23)。この神のあわれみを当たり前のように思い込み、神を侮ったり欺いたりしてはなりません。信仰を利用して、名声や権力を得ようと考えてはなりません。それは、「仕えられるためではなく仕えるために」(マルコ10:43~45)来臨されたイエスとは真逆の生き方だからです。
教会は、人と比べて生きるのをやめ、神を見上げて生きようと方向転換するところ、自分が自分のままでいられるところ、背伸びしないでいい、無理せず自然でいられるところです。つまらないプライドや覆いを捨てて、駄目な自分を正直に認めて生きてみませんか。「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」(マタイ11:28)。あなたはあなたのままで十分愛されています。神を見上げ、神に喜ばれる生き方を目指しましょう。