2023年4月23日礼拝メッセージ

聖書箇所 マタイの福音書1章1~17節

主題聖句:

アブラハムの子、ダビデの子、イエス・キリストの系図。

      マタイの福音書1章1節

本日の説教要旨:「イエス・キリストの系図」

①来臨の事実

 有名な王等が登場する系図がキリストにあるということは、キリストが神話や昔話の類に出てくるような想像上の人物ではなく、歴史上確かに実在したお方であることを物語っています。

②来臨の実現

 ダビデの子孫からキリストが降誕することを、神はダビデや預言者に約束されていました(Ⅱサムエル記7:12、イザヤ書9:6~7他)。「アブラハムの子、ダビデの子、イエス・キリストの系図」という書き出しは、キリストの来臨は偶発的な出来事ではなく、旧約聖書に度々約束されていた神の救いのご計画の成就であり、神は決して約束を忘れないお方であることを示しています。

③来臨の目的

 この系図には、悪王(マナセ他)や、異邦人・遊女等の4人の女性—タマル(創世記 第38章)、ラハブ(ヨシュア記 第2章)、ルツ(ルツ記)、ウリヤの妻(バテ・シェバ。Ⅱサムエル記 第11章)—が登場します。キリストの系図は、その行間から人間の罪の匂いが立ち込めて来るような、罪の記録の系図です。「キリストと呼ばれるイエスは、このマリアからお生まれになった」とは、キリストが罪に汚れた全人類の真っ只中に人の子として来られたことを示しています。実にキリストは、全時代・全人類の罪の連帯責任を負って十字架につけられ、身代わりの死を遂げるために来臨されたのです。それゆえ、いかに罪や汚れ、失敗に満ちた人生であろうとも、キリストを信じるならば、愛と祝福に満ちた、全く新しい生涯に造り変えられます。人生をやり直すことができるばかりか、「祝福」そのものとされるのです(ローマ3:23、Ⅱコリント5:17、創世記12:2)。