2023年4月30日礼拝メッセージ
聖書箇所 マタイの福音書1章18~25節
主題聖句:
それは、訳すと「神が私たちとともにおられる」という意味である。
マタイの福音書1章23節
本日の説教要旨:「インマヌエルの神」
婚約者マリアのお腹が日増しに大きくなるのを見て、「ひそかに離縁しようと思った」ものの、なおも「思い巡らしていたところ…主の使いが夢に現れて」、事の真相を告げました。「その胎に宿っている子は聖霊によるのです」と。しかしなぜ主イエスはこのような生まれ方をしなければならなかったのでしょうか。それは、通常の肉体関係から生まれてくれば、アダムの罪の性質を受け継ぎ、私たち人間と何ら変わりない存在となるからです。完全な神であり完全な人であるためにはこの方法しかなかったのです。
主の使いはヨセフに「恐れずに…」と語りかけました。私たちは些細なことでもすぐに恐れやすい者ですが、それは造り主なる神を見失っているからです。神のかたちに造られた人間は(創世記1:1、27)、神を人生のはじめに置き、神に的を合わせて生きるとき、充実した人生を送ることができます。そのように一人ひとりに最善のご計画をお持ちの神を締め出して生きるから、迷信や占いに頼り、将来に対して不安になるのです。私たちを愛しておられる神を締め出して生きるから、他人と比べて落ち込んだり、他人の目を恐れたりするのです。死後、神のさばきがあることを本能的に知っているから、死を恐れるのです。様々な恐れの原因は、神を締め出して生きる的外れの罪にあります。「ご自分の民をその罪からお救いになる」ために主イエスは降誕され、十字架上で代わりに死なれたのです。
主イエスを信じる者の内に「インマヌエル…神が私たちとともにおられる」が実現し、試練の尽きない人生の中に、祈りの中に(18:20)、「世の終わりまで、いつも…ともにいます」(28:20)。