2024年6月23日の礼拝メッセージ
聖書箇所 マタイの福音書 第5章1~12節
主題聖句:
その人たちはあわれみを受けるからです。
マタイの福音書 第5章7節
本日の説教要旨:
「幸いなるかな、あわれみある者」
私たちが「あわれみ深い者」である以前に、まず神ご自身が「あわれみ深い」お方でした。私たちは皆「自分の背きと罪の中に死んでいた者」(エペソ2:1)で、「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」(ヘブル9:27)、「罪の報酬は死です」(ローマ6:23)。そんな「生まれながら御怒りを受けるべき子ら」を救うため、「あわれみ豊かな神は」御子イエスの十字架と復活による救いを完成してくださいました(エペソ2:1~5)。主イエスを信じるなら、「御怒りを受けるべき子」から神の子に造り変えられます。神にさじを投げられても当然の者が今なお教会に集っているのは、神の「あわれみ」以外の何ものでもありません(哀歌3:22)。神のあわれみを受けた者が「あわれみ深い者」となることを神は願っておられるのです。
「義に飢え渇く者は幸いです」の直後に「あわれみ深い者は幸いです」と言われたのには意味があります。「義」だけ重んじると角が立ち、「あわれみ」だけ重んじると流されます。「義」と「あわれみ」がバランスよく共存していることが大切で、それが人を真に生かすのです。主イエスがまさにそうでした。主イエスを三度も否んだペテロや、伝道旅行から逃げ帰ったマルコを回復させたのも、「義」と「あわれみ」でした。聖霊は「真理の御霊」(ヨハネ14:17)で、「御霊の実は、愛」(ガラテヤ5:22)です。御霊による成熟を求めましょう。