2024 年6月30日の礼拝メッセージ
聖書箇所 マタイの福音書第12章15~21節
主題聖句:
マタイの福音書第12章15~20節
本日の説教要旨:
「傷んだ葦を折ることもなく」
イザヤの預言どおり、受洗時に「霊を授け」られた主イエスは、人々に「さばきを告げ」、神の義を打ち立てられました。それは、「傷んだ葦を折ることもなく、くすぶる灯芯を消すこともない」という方法によってです。「傷んだ葦…くすぶる灯芯」は、どちらも役に立たず、捨てられて当然の存在です。そのような人であっても主イエスは決して見捨てず、可能性を見出し、忍耐強く導かれました。
事実9~14節の男性は、「傷んだ葦」のように使い物にならない手を癒やされ、「くすぶる灯芯」のように消え入りそうな心に希望の火を灯されました。他にも町中の嫌われ者の取税人マタイやザアカイ、男性遍歴を繰り返すサマリアの女性の中にも可能性を見出し、彼らの友となり、救いに導かれました。マタイは十二弟子の一人となって福音書を記し、ザアカイも人々から敬愛される人になったと言われ、サマリアの女性によって一大リバイバルが起こりました。主イエスを三度も否認したペテロは赦され、再び指導者として立てられました。どんなに失敗だらけの人生であっても、主イエスは「さばきを勝利に導くまで」慰め励まし、立ち上がらせ、燃え立たせ、No GoodからGoodの人生に変えてくださいます。ですから自分に愛想を尽かすのはやめましょう。主イエスの愛の「広さ、長さ、高さ、深さ」(エペソ3:18)を信じ、自分や他人の内にある可能性に目を留め、神のみわざが現われるのを待ち望みましょう。