2024年12月1日アドベントの礼拝メッセージ

聖書箇所 ホセア書 第11章8~9節

主題聖句:

わたしはどうしてあなたを引き渡すことができるだろうか…どうしてあなたを見捨てることができるだろうか…わたしの心はわたしのうちで沸き返り、わたしはあわれみで胸が熱くなっている。

      ホセア書 第11章8節

本日の説教要旨:

「どうして見捨てられようか」

 「イスラエルが幼いころ」、神の選民として歩み始めた当初から、神はイスラエルを愛し、奴隷状態の「エジプトから…呼び出し」、約束の地カナンに導き入れられました(1節)。ところがイスラエルは神の愛を忘れて「ますます離れて行き」、偶像礼拝に傾いていきました(2節)。それでも神は、親がわが子を愛するように振る舞ってこられましたが、イスラエルはますます自分勝手な道に突き進むので、さすがの神もアッシリアを用いてさばこうとされます(5~7節)。しかしいざさばきを下そうとしたとき、神は愛する民をさばくには忍びなくなり、「どうして…引き渡すことができるだろうか。どうして…見捨てることができるだろうか…」と繰返し叫ばれました。罪は罪として罰せずにはいられない神の義、それでもなお愛さずにはいられない神の愛。相矛盾する義と愛に板挟みとなった神の自己分裂の末、「神であって、人ではなく…聖なる者だ」から遂に神の義よりも神の愛が勝利しました。

 「どうして」と叫ばれた神は、時満ちて御子イエスを降誕させ、全人類の罪を背負わせ、十字架上で「どうして…お見捨てになったのですか」(マタイ27:46)と叫ばせることで神の義は満足させられ、御子を信じる者を赦すということで神の愛も満足させられました。十字架はまさに「神の義と愛の会えるところ」(新聖歌230番)、神の「どうして」という自己分裂を解消する唯一の手段でした。罪人を捜し求め、抱き抱え、天国に招き入れようとされる神の燃えるような愛に応えて生きましょう。

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本日からアドベント(待降節、Advent=到来)に入ります。

クリスマスまでのこの期間、①初臨のキリストを黙想する時、②伝道の時、③再臨のキリストを待望する時、として大切に過ごしましょう。

私のために降誕されたキリストによる救いと一年の恵みに、心いっぱい感謝しましょう。