2021年1月17日(日)メッセージ
主が彼とともにおられ、彼が何をしても、主がそれを成功させてくださったからである。
創世記39章23節
ヨセフは父親の深い愛情を注がれ、特別扱いをされていました。兄たちはそんなヨセフを嫌っていたのです。しかも兄たちを自分よりも下に見ているような夢の話をされて、兄たちは我慢の限界がきていました。ヨセフは一見、自分は嫌われていると思っていないように見えますがヨセフは嫌われていることを知っていたと思います。ヨセフは嫌われていることを知りながらも神さまを信じ、兄たちに関わり続けて神さまが示してくださったことを伝え続けていたのです。
1.どんな時でも主の恵みがある
主がともにおられる、そのことをずっと信じていたヨセフです。兄たちに奴隷として売られたとしても自暴自棄にならず、奴隷としての生活も主を信じて、忠実に過ごしていました。その姿はポティファルの目にも伝わり、ヨセフを通して神さまを見ることができたのです。主がともにおられるならば、どんな時でも神さまの恵みが注がれます。
2.どんな所でも主の成功がある
しかし状況が悪くなる時もあります。ヨセフもポティファルの奥さんに誘惑されて断り続けた結果、ありもしないことで罪を着せられ、監獄に入れられることになったのです。しかしここでもヨセフは成功します。主から離れることなく、主がともにおられる、それだけを信じて過ごした結果主からの成功が与えられたのです。