2021年2月28日(日)のメッセージ
聖書箇所:士師記16章4~6節、15~22節
主題聖句:私は母の胎にいるときから神に献げられたナジル人だからだ。(士師記16章17節)
本日の説教要旨:サムソンの時代、イスラエルはペリシテ人に苦しめられていました。しかしサムソンに与えられた主の力によって、敵は歯が立ちませんでした。
1.ナジルびと
サムソンはナジルびとでした。神様のために聖別された人のことです。ナジルびとの守るべき律法は民数記6章に記されてあります。サムソンはナジルびととして生き、主の霊によって力を与えられていました。しかし愛するデリラからしつこく力の秘密を迫られ、とうとう自分がナジルびとであり、髪の毛にかみそりを当てたことがないことを話してしまいました。
2.回復
サムソンが眠ってしまっている間にデリラはペリシテ人の領主たちにサムソンの秘密を伝え、髪の毛をそり落してしまいました。サムソンは主が離れたことに気づかず、ペリシテ人たちに捕らえられ、牢の中で臼を引くことになってしまったのです。しかし神様が離れてしまったサムソンに、もう一度主の力が与えられました。ペリシテ人の祭に見せ物として出されたサムソンは神殿の柱を崩壊し、約3000人のペリシテ人とともに亡くなりました。サムソンは怪力の人物でしたが、それは主が与えられた力でした。主から心が離れてしまったら何の意味もありません。しかし主はサムソンの祈りに応えて、もう一度力を与えられました。たとえ失敗したとしても主の選びは変わらず、必ず赦しを与えてくださいます。