2022年3月20日の礼拝メッセージ
聖書箇所:ルカの福音書22章31~34、54~62節
主題聖句:主は振り向いてペテロを見つめられた。(ルカの福音書22章61節)
本日の説教要旨
ゲツセマネの園に行く前にイエスは「あなたがたはみな、つまずきます」(マルコ14:27)と言われました。それに対してペテロが「あなたとご一緒なら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております」と言うと、イエスは「今日、鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしを知らないと言います」と予告されました。園で捕縛されたイエスを心配して「ペテロは遠く離れてついて行った」ものの、「あなたも彼らの仲間だ」と指摘されるたびに否認を重ねること三回、「するとすぐ、彼がまだ話しているうちに、鶏が鳴いた…主は振り向いてペテロを見つめられた…そして、外に出て行って、激しく泣いた」。
取り返しのつかない大失敗をも包み込んで赦すイエスの愛のまなざしに触れて、ペテロは号泣したのでしょう(新聖歌221番)。ユダもペテロと同じようにイエスを裏切りましたが、自分の行為をただ後悔しただけで悔い改めることなく、「首をつった」(マタイ27:5)。「神のみこころに添った悲しみは、後悔のない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします」(Ⅱコリント7:10)。 四福音書すべてがペテロの失敗を包み隠さず記すのは、イエスを信じる人生はいつでもやり直し可能であること、イエスの愛と赦しととりなしによって何度でも立ち上がり得ることを強調したかったからでしょう。
「私たちが、神の前に自らの罪の責めを感じ、身を低くして立ち帰ってくるとき、そこには怒りの御顔があると思ったのに、意外にも、そこには赦しの御顔があるのです」(ジョン・バニヤン)。