2022年9月11日の礼拝メッセージ
聖書箇所 列王記第二5章1~14節
主題聖句:
身を洗ってきよくなりなさい。
本日の説教要旨:「そうすれば、きよくなります」
「アラムの王の軍の長ナアマンは、その主君に重んじられ、尊敬されていた」が、「ツァラアトに冒されていた」。ナアマンの幸いは、真の神と預言者エリシャについて証しするイスラエルの若い娘が身近にいて、彼女の言葉を受け入れたこと、エリシャの態度と伝言に「激怒して去」るナアマンをなだめるしもべたちがいて、しもべたちの助言を受け入れたことにあります。ナアマンがエリシャの命令に素直に従ったところ見事に癒され、真の神を信じて帰国します(15~19節)。すべては、ナアマンを真の神信仰に導くための「恩寵の待ち伏せ」でした(エレミヤ書29:11)。「すべてのことがともに働いて益となる」(ローマ8:28)ようにしてくださる神は、マイナスの中からプラスを引き出し、祝福に変えてくださるお方なのです。
ラジオ放送を聞くとき、その番組の周波数に合わせないでいて、「聞こえない。違う番組だ」と怒るのは滑稽です。あなたも神のみことばを聞くとき、同じことをしていませんか。大切なことは、自分の先入観や偏見をひとまず脇に置いて、神の周波数に合わせることです。そして神が言おうとしていることを素直に聞き取ろうとすることです。
ナアマンが自分の病にお手上げだったように、私たちも自分の罪には全くのお手上げ状態です。ナアマンがエリシャの命令に従って癒しを受け取ったように、私たちも聖書が言う通りイエスの十字架を信じて罪赦され、神に立ち帰る、そこから祝福が始まるのです。神と歩調を合わせて歩むなら、もっとすばらしく、もっと自由に伸び伸びと、もっと自分らしく生きることができます。