2022年12月11日アドベントの礼拝メッセージ

聖書箇所 ヨハネの福音書1章29~34節

主題聖句:

見よ、世の罪を取り除く神の子羊。

      ヨハネの福音書1章29節

本日の説教要旨: 「見よ、神の子羊」

 バプテスマのヨハネはイエスについて、「見よ、世の罪を取り除く神の子羊」と証言しました。ここにイエス来臨の目的が見事に凝縮されています。

 「世」とは、神に造られながら、神を認めようとせず、神に敵対している領域や人のことです。イエスは「世の罪を取り除く(負う、の意。マタイ27:32「背負わせた」と同語)」ために来られた「神の子羊」です。「子羊」という表現の背後には、過越の小羊と苦難の僕があります。イスラエルをエジプトの奴隷から救い出すため主が下された第十の災いは、子羊の血が塗られていない家の長子は皆滅ぼすが、血が塗られている家は過ぎ越す、というものでした(出エジプト記 第12章、コリント第一5:7)。受難の僕は、「羊のようにさまよい、それぞれ自分勝手な道に向かって行った…私たちすべての者の咎」を一身に背負い、「神に罰せられ、打たれ、苦しめられ」る存在です(イザヤ書 第53章、使徒8:32~35)。

 アダム伝来の罪のため私たち人間と聖なる神との関係は破壊され、断絶されています。それほど人の罪は恐ろしいものなのです。イエスの側には十字架につけられる理由など全くありませんでした。ひとえに「私たちの背きのために刺され、私たちの咎のために砕かれたのだ」。イエスこそ、私たちを罪の奴隷から救い、神と共に歩む人間本来の姿に回復するために来られた「神の子羊」、十字架の死と復活によって救いを完成するために来られた「神の子羊」です。世の人々は罪の恐ろしさを知らずに平気で罪を犯していますが、キリスト者であっても聖なる神を侮り、平気でみことばに背いていないでしょうか。悔い改めと信仰によって「世の罪を取り除く神の子羊」を仰ぐとともに、ヨハネのように人々に救い主イエスを紹介しましょう。