2022年12月18日アドベントの礼拝メッセージ

聖書箇所 ヨハネの福音書2章1~11節

主題聖句:

イエスはこれを最初のしるしとしてガリラヤのカナで行い、

ご自分の栄光を現された。

      ヨハネの福音書2章11節

本日の説教要旨:「水がぶどう酒に」

 婚礼の最中に「ぶどう酒がありません」。これは、私たちの人生にも思いがけない問題や悩みが生じ、喜びや楽しみが尽き果てる時が来ることを意味しています。この世の有限なものに人生の基盤を置いている限り、真の平安や満足がなく、絶えず恐れや不安が付きまとうのも至極当然のことです。そのとき母マリアは真っ先にイエスのもとに行って窮状を報告し、助けを求めました。「女の方、あなたはわたしと何の関係がありますか。わたしの時はまだ来ていません」と言われても、マリアは希望を捨てず、給仕の者たちに「あの方が言われることは、何でもしてください」と言い置きました。やがてイエスが給仕の者たちに命令されると、彼らは命令通り「二あるいは三メトレテス(80~120リットル)」も入る六つの「水がめを水でいっぱいにし…宴会の世話役のところに持って行」ったところ、ただの水が上等なぶどう酒に変わっていました。

 人のピンチは神のチャンスです。行き詰まりを覚えるとき、慌てふためいたり肉の知恵を働かせたりせず、まず「ぶどう酒がありません」と自らの欠乏を素直に認めて神に期待しましょう。神のみわざが実現するには、神による最善の時と方法があります。その神の時を待ちきれずに、人間的な知恵や小細工で切り抜けようとするから、神の出番を妨げ、圧倒的な神のみわざを拝せなくなるのです。「苦しむときには、いつも主も苦しみ」(イザヤ書63:9)ながら、私たち以上に機が熟すのを待っておられる愛なる神に全く信頼して、私たちの側でもなすべき責任を果たしながら、神の時を待ち望むことが大切です。そうして私たちの人生にも家庭にも教会にも、味気ない水が芳醇なぶどう酒に変えられる神の奇跡を見せていただきましょう。