2022年12月25日クリスマス礼拝の礼拝メッセージ
聖書箇所 ヨハネの福音書3章16節
主題聖句:
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。
絵本朗読 「たいせつなきみ」
作・絵:マックス・ルケード/訳:ホーバード 豊子(いのちのことば社)
本日の説教要旨:「たいせつなきみ」
①神の愛の事実…「神は…世を愛された」
聖書の冒頭に「はじめに神が天と地を創造された」(創世記1:1)とあるように、唯一真の神がおられ、天と地とその中に満ちるすべてのものを、もちろん私たち人間をも創造されました。この「神は…世を愛された」、私たち人間を「高価で尊い」(イザヤ書43:4)存在として愛さずにはいられないのです。この神の愛から漏れている人は一人もいません。
②神の愛の程度…「実に、ひとり子をお与えになったほどに」
神と共に永遠の初めからおられた「ひとり子(イエス・キリスト)」は約2000年前、天の栄光をかなぐり捨てて罪と汚れに満ちた地上に人の子として降誕されました。その地上生涯の最期は十字架刑でした。神は、大切な「ひとり子」が地上でどんな目に遭うかを重々承知の上で、惜しみなく与え尽くすほどに「世(私たち一人ひとり)を愛された」のです。
③神の愛の目的…「御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つため」
「一人として滅びることなく」とは、裏を返せば、人は皆そのままでは滅びるべき存在だということです。創造主なる神に背いて生きている罪人だからです。罪は罪としてさばかずにはいられない義なる神は、罪人が永遠に滅びるのを看過できない愛なる神でもあります。そこで神は、御子イエスに全人類の罪を負わせて十字架につけ、罪人をさばく代わりにイエスをさばくことにより、「永遠のいのちを持つ」道を開かれました。この救いを得るのに必要なのは、罪の悔い改めと「御子を信じる」信仰のみです(使徒の働き20:21)。神の愛をこれ以上拒んで神の御心を悲しませてはなりません。神の愛の贈り物であるイエスを信じ受け入れましょう。