2023年2月5日の礼拝メッセージ
聖書箇所 ヨハネの福音書15章1~17節
主題聖句:
人がわたしにとどまり、わたしもその人にとどまっているなら、
その人は多くの実を結びます。
ヨハネの福音書15章5節
本日の説教要旨:「わたしはぶどうの木」
①イエスにとどまっているならば
イエスにとどまっていると、どのような祝福があるのでしょう。
⑴「行って実を結び、その実が残るようになる」(16節)。救霊の実や御霊の実(ガラテヤ5:22~23)を結びます。
⑵「何でも欲しいものを求めなさい。そうすれば、それはかなえられます」(7節)。祈りが答えられます。
⑶「父は栄光をお受けになります」(8節)。神の栄光が現されます。
⑷「喜びで満ちあふれるように」なります(11節)。
逆にイエスから離れていると、「実を結ぶことはできません」し、「何もすることができないのです」(4~5節)。
②イエスにとどまっているとは
私たち人間は皆、神に造られながら、造り主なる神を無視した的外れの歩みをしています。「枝のように投げ捨てられて枯れ」、永遠の滅びを刈り取るべき存在です。そんな罪人のために、神は御子イエスの十字架と復活によって救いを完成してくださいました。神の前に罪を悔い改め、イエスを信じる者は、イエスというぶどうの幹につながる一枝とされ、イエスのいのちが注がれるようになります。イエスにとどまるとは、まず何よりもイエスを信じることです。その上で、
⑴「わたしのことばがあなたがたにとどまっているなら」(7節)。礼拝や日毎のみことばに聞き入ることです。みことばの養分が流れ込んできます。
⑵「わたしの愛にとどまりなさい」(9節)。十字架の愛に応えて歩むことです。
⑶「わたしの戒めを守るなら」(10節)。みことばに従って歩むことです。「神の命令は重荷とはなりません」(Ⅰヨハネ5:3)。
⑷「刈り込みをなさいます」(2節)。みことば(3節)と御霊による刈り込みに身を委ね、聖別されることです。「あなたも豊かに実を結ぶ一枝になってほしい」、これが神さまの願いです。