2023年2月19日の礼拝メッセージ

聖書箇所 ダニエル書3章8~25節

主題聖句:

たとえそうでなくても…私たちはあなたの神々には仕えず、

あなたが建てた金の像を拝むこともしません。

      ダニエル書3章18節

本日の説教要旨:「たとえそうでなくても」

 ネブカドネツァル王は金の像を造り、それを「ひれ伏して拝まない者はだれでも、火の燃える炉の中へ投げ込め」と命じました。しかし、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴは、律法に従って命令を拒絶しました。

 王は怒り狂って三人を呼び出して再度チャンスを与えましたが、三人は「私たちが仕える神は、火の燃える炉から私たちを救い出すことができます」と神への全き信頼を宣言しました。続いて「たとえそうでなくても」自分たちの神信仰は変わらず、「あなたの神々には仕えず、あなたが建てた金の像を拝むこともしません」と宣言しました。

 人の願いと神の思い、人の時と神の時、人の方法と神の方法は、必ずしも同じではないため、「たとえそうでなくても」ということがときに生じます。しかしそれでも愛なる神の思いは、人の願いをはるかに超えて最善です。三人は神の全能を信じて生きると同時に、神の最善に委ねて生きていたのです。

 王は火の燃える炉に三人を投げ込ませましたが、三人は何の害も受けずに火の中を歩いています。しかも三人ではなく四人です。かつてイスラエルの民とともにエジプトに下り、荒野を旅された神は、ここでは火の燃える炉の中にともに身を置いて三人を守られたのです(イザヤ43:1~2)。

 天国市民であると同時に良き市民であるべきキリスト者は、法律・校則・社則等、「人が立てたすべての制度に、主のゆえに従」うべきですが(Ⅰペテロ2:13)、それがみことばに反する場合は、「人に従うより、神に従うべきです」(使徒4:19~20、5:29)。「人は真に恐るべき神を恐れないので、恐れなくてよいものを恐れている」(パスカル)。神が私たちの味方です(ローマ8:31~39)。最終的には神が必ず勝利をとり、豊かな祝福を注いでくださるのです。