2023年3月5日講壇交換礼拝の礼拝メッセージ

聖書箇所 ヨハネの福音書12章20~28節

主題聖句:

一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままです。

しかし、死ぬなら、豊かな実を結びます。

      ヨハネの福音書12章24節

本日の説教要旨:「一粒の麦として」

 過越の祭りが近付いた5日前の日曜日、主イエスは、大群衆が「ホサナ(どうか救って下さい)」と熱狂的に歓迎する中で、王なるメシアとしてエルサレムに入城されました。

 祭りで礼拝のためにエルサレムに来た数人のギリシア人が(ユダヤ教への改宗者)、主イエスにお会いしたいと遠慮深くピリポを頼って来ます。なぜならモーセの律法により、異邦人は神殿内の隔ての壁より先に入ることが許されていなかったからです。主イエスは、ピリポとアンデレからこの申し出を聞き、「栄光を受ける時(十字架の時)がきた」と言われます。そして、ご自分を一粒の麦にたとえて、十字架の死と復活により、多くの人々(ユダヤ人も異邦人も)を、主にある新しいいのちに生まれさせ、永遠に生かし、完成させます(キリストに似る者になる)と宣言されました。

 25節に、自分のいのちを愛する・憎むとありますが、これは人生の優先順位において、何を一番大切にするのかという意味です。“人生を自己中心的に生き、結果的に永遠のいのちを失うのか”、“一粒の麦として私の罪の身代わりに死なれた主イエスに信頼する生き方を選び永遠のいのちをいただくのか”。そして、主に従い主のように神と人とを愛する生き方を選ぶ者には、父なる神もご一緒下さって、慰め励まし報いて下さるとの約束が続きます。

 しかし、このような自己犠牲的な生き方をするには、神の力が必要不可欠です。主イエスもまた、御父の助けを切に祈り求められ、勝利されました。主イエスという一粒の麦の死によって新しい命に生まれ、主に似た愛の人へと育まれている私達です。これから新たに生まれる多くのいのちのために、喜びながら主に用いて頂きましょう!

※本日は講壇交換礼拝でした(清水百合師が当教会で、木村勝志師が名古屋東教会で奉仕)。主管者として2年間奉仕され、新年度から西大和キリスト教会(奈良県、大阪教区)に転任される清水師に感謝の時を持ちました。