2023年3月12日の礼拝メッセージ

聖書箇所 ヨハネの福音書13章1~15節

主題聖句:

わたしがあなたを洗わなければ、

あなたはわたしと関係ないことになります。

      ヨハネの福音書13章8節

本日の説教要旨:「極みまで愛されたイエス」

 十字架前夜、「イエスは、彼らを最後まで(欄外注「極みまで」)愛された」。「最後まで」という語には、時間的な最後(最後の最後まで)と質的な最後(残りなく極限まで)の二重の意味が含まれています。十字架上でいのちを捨てるその最後の瞬間まで愛され、しかも極限に至るまで極みまで愛された、という意味が込められています。十字架を前にしたイエスから溢れ出たものは、「最後まで」「極みまで」の愛であり、その愛の表れの一つが洗足です。

 弟子たちは「自分たちのうちでだれが一番偉いのだろうか」と論争していたので(ルカ22:24)、足を洗うという異邦人奴隷の仕事をしようとする者など一人もいなかったため、何とイエスが「夕食の席から立ち上がって」、弟子たちの足を洗われました。「上着を脱ぎ」(4節)という語は「いのちを捨てる」(10:17)と同語で、「上着を着て」(12節)という語は「いのちを得る」(10:17)と同語です。すなわち「上着を脱ぎ…弟子たちの足を洗い…上着を着」た洗足は、十字架上でいのちを捨て、血を流し、三日目に復活することの象徴的行為だったのです。

 足以上に汚れているのが私たち人間の心です(マルコ7:20~23)。御子イエスが来臨されたのは、人の罪を十字架と復活によって洗いきよめるためでした。「わたしがあなたを洗わなければ、あなたはわたしと関係(分け前、の意)ないことになります」とは、十字架の贖いを拒むなら、天国での分け前にあずかることなく締め出される、ということです。人に仕える僕となられたイエスは、私たちの罪・汚れを洗おうと、「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい」(マタイ11:28)と招いておられます。さらに天国では、私たちの「涙をことごとくぬぐい取って」慰めようと待ち構えておられるのです(黙示録21:4)。

※本日は礼拝後、2023年度教会総会が行われ各議案が話し合われました。役員選挙も行われました。