2023年6月11日花の日ファミリー礼拝メッセージ

聖書箇所 マタイの福音書3章1~6節

主題聖句:

荒野で叫ぶ者の声がする。

「主の道を用意せよ。主の通られる道をまっすぐにせよ」。

      マタイの福音書3章3節

本日の説教要旨:「荒野で叫ぶ者の声」

 救い主登場前にエリヤが現れると信じられていましたが(マラキ書4:5)、マラキを最後に預言者が途絶えて約400年、人々の信仰は形骸化していました。そこへ預言者エリヤを彷彿とさせる「バプテスマのヨハネ」が彗星のように現れたので、彼こそエリヤなのではと考えた人々は「ヨハネのもとにやって来て、自分の罪を告白し、ヨルダン川で彼からバプテスマを受けていた」。

 ヨハネは「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから」と語りました。「天の御国」とは、神の恵みによる支配ということです(「神の国」「御国」も同じ)。主イエスによって「天の御国が近づいたから」「悔い改めなさい」。悔い改めとは、心の向きを180度変えること、自分中心から神中心に方向転換することです。神に背を向けたまま歩き続けると、神からますます離れてしまいますが、方向転換して神に向かって歩き続けると、神にますます近づき、神とともに歩くようになります。これこそ神に造られた人間のあるべき姿、最も自然で幸いなことですが、方向転換しただけでは救われません。悔い改めた上で主イエスを信じるから救われるのです(使徒20:21)。

 真の神から遠く離れ、魂が「荒野」のように渇いている人々が、悔い改めて主イエスを信じ受け入れるよう道備えをすることがヨハネの使命でした。パウロもそうです。「私の身によってキリストがあがめられる(拡大する、の意)」(ピリピ1:20)こと、自分の全存在を通してキリストが拡大されて人々に現わされること、これがパウロの最大の関心事でした。人々が真の希望を見失っている今こそ、「荒野で叫ぶ者の声」が必要です。私もその一人にさせていただきましょう。