2023年7月23日の礼拝メッセージ
聖書箇所 ルカの福音書 5章1~11節
主題聖句:
でも、おことばですので、網を下ろしてみましょう。
ルカの福音書 5章5節
本日の説教要旨:「でも、おことばですので」
ペテロたちは夜通し働いても小魚一匹獲れませんでした。日本の教会の現状に似ています。結果が伴わない、へこむことが少なくありません。しかし、ゴルフボールを遠くへ飛ばすためには無数のディンプル(くぼみ)が必要であり、朝顔がきれいに花を咲かせるためには夜間の暗さと冷たさが必要であるように、へこみもプラス要因になると信じて受け止めたいものです。
主イエスはペテロに「深みに漕ぎ出し、網を下ろして魚を捕りなさい」と言われました。そのアドバイスは漁の常識からすると突飛なものでしたが、「でも、おことばですので…」と言ってそのとおりにしたところ、予想外の大漁となりました。私たちは、この「でも」という語を使う場所をしばしば間違えています。「聖書はそう言っている。『でも』現実は厳しい」「あの人には賜物がある。『でも』私にはないから無理」。そのように世の常識や自分の経験を働かせ、全能の神に期待しようとしない、みことばに従おうとしない、いい加減なところで妥協する。だから、ほどほどの結果に終わるのです。婚礼の最中にぶどう酒がなくなるという大ピンチ。「水がめを水でいっぱいにしなさい」という主イエスの命令にしもべが忠実に従ったところ、ただの水が上等なぶどう酒に変わりました(ヨハネ 2:1~11)。
自分の経験や常識で立てる「浅瀬」にいつまでも留まっていないで、自分の足では立てない「深みに漕ぎ出し、網を下ろ」すべきではありませんか。ペテロのような「でも」の使い方をすべきではありませんか。「現実は厳しい。『でも』神に期待しよう」。自分の経験や常識を超えた逆転の「でも」。そこから驚くべき祝福が始まります。