2023年10月22日の礼拝メッセージ

聖書箇所 マタイの福音書 8章23~27節

主題聖句:

どうして怖がるのか、信仰の薄い者たち。(マタイの福音書8章26節)

なんということでしょう!それでも神を信じているのですか。そんなにこわがったりして。(同、リビングバイブル)

本日の説教要旨:

「どうして怖がるのか」

 主イエスと弟子たちがガリラヤ湖の「向こう岸へ渡ろう」とすると、これまでにない「大荒れ…大波」に遭遇しましたが、「イエスは眠っておられた」。人となられた御子イエスは、連日の働きで疲れ果てておられたからでしょうが、それ以上に父なる神に全く信頼しておられたからでしょう。さらに、漁に自信があった弟子たちは主イエスに頼らず自力で頑張り、主イエスは必要とされていなかったからかもしれません。しかし遂に行き詰まって助けを求めると、主イエスは「風と湖を叱りつけられた。すると、すっかり凪になった」。

 そもそも「『向こう岸へ渡ろう』と言われた」(マルコ4:35)のは、弟子たちではなく主イエスご自身でした。主イエスの命令で出発したのですから、主イエスが最後まで全責任をもって導いてくださるはずです。しかも舟には全能の主イエスご自身も乗っておられました。それなのに「なんということでしょう!それでも神を信じているのですか。そんなにこわがったりして」(リビングバイブル)。

 思わぬ人生の大嵐に見舞われると、悲観主義に陥り、神を疑って文句を言ったり、他人のせいにしたりしてはいませんか。そんなあなたに「なんということでしょう!それでも神を信じているのですか。そんなにこわがったりして」と言われます。「イエス様が一緒にいるのなら、なぜ暴風が起こるのか…私たちの心は疑いで満たされてしまいます。そんな時、思い出しましょう。私たちの舟にはイエス様が乗っておられることを。木の葉のように荒波に翻弄される舟の中で不安と恐怖に包まれ、イエス様に忘れられていると感じるような時があっても、あなたの舟は決して沈みません。イエス様があなたの舟に乗っておられるからです。イエス様は、私たちの叫び声に答えて、波と風を静めてくださるでしょう」(岩本遠億師)。