2023年10月29日の礼拝メッセージ

聖書箇所 マタイの福音書 8章28~34節

主題聖句:

イエスは彼らに「行け」と言われた。それで、悪霊どもは出て行って豚に入った。

      マタイの福音書 8章32節

本日の説教要旨:

「墓場の人生からの回復」

 「大荒れ…大波」のガリラヤ湖を渡り、「イエスが向こう岸のガダラ人の地にお着きになると、悪霊につかれた人が二人、墓場から出て来」ました。「墓場に住みついていて」孤独で希望のない人。「もはやだれも、鎖を使ってでも…縛っておくことができなかった」凶暴な人。「夜も昼も墓場や山で叫び続け」自制心を失った人。「石で自分のからだを傷つけ」自分を受入れ愛することができずに憎む人(マルコ5:3~5)。これは、神から離れて自己中心に生きている罪人の姿でもあります。

 主イエスを一目見ようと、地元カペナウムでは「大勢の群衆がみもとに集まって来」ましたが(マルコ5:21)、一匹の迷子の羊を捜して救うように(ルカ15:4~7)、主イエスは「悪霊につかれた人」を回復するためだけに大嵐のガリラヤ湖を渡って来られた、と言っても過言ではありません。この主イエスの愛があなたにも注がれています。「わたしの目には、あなたは高価で尊い」(イザヤ書43:4)、あなたは神の前にかけがえのない大切な存在なのです。それほど神に愛されていながら、神から迷い出てしまったために、本来持っている価値を失い、力を十分発揮できずにいる私たち。そんな私たちを悪魔の支配から解放し、本来の姿に回復するために、主イエスは来臨されました。「悪霊につかれた人」が救われるために、豚「二千匹」(マルコ5:13)が犠牲になりました。私たち罪人を救うために、主イエスは「崖を下って湖になだれ込」むどころか、十字架上で死に、黄泉にまでも下られました。御子イエスを犠牲にしても少しも惜しくないほど、あなたは「高価で尊い」存在であるのに、赦せない思いや苦々しい思い、世間体や人の目に縛られ、自分本来の姿を失っていませんか。あなたを縛るものから解放したい、あなたらしくいてほしい、と神は願っておられます。