2024年1月14日の礼拝メッセージ

聖書箇所 マタイの福音書 9章18~26節

主題聖句:

でも、おいでになって娘の上に手を置いてやってください。

そうすれば娘は生き返ります。

      マタイの福音書 9章18節

本日の説教要旨:

「起き上がらせる主イエス」

 「会堂司の一人でヤイロという人が来て」、「私の小さい娘(ルカ8:42「十二歳ぐらいの一人娘」)が死にかけています…どうかおいでになって、娘の上に手を置いてやってください」と主イエスにしきりに懇願すると、その信仰に答えて「イエスはヤイロと一緒に行かれた」。ハンナも「主の前に心を注ぎ出して」祈り抜き、やがて「その顔は、もはや以前のようではなかった」のは、祈りが聞かれと確信したからです。サムエルが与えられたのは、それからほどなくしてでした(Ⅰサムエル第1章)。ヤイロやハンナのように必死に祈り求めることを主は待っておられます。適当なところで立ち上がるから、いつまでたっても真の勝利が来ないのです。徹底的に祈り抜くことが大切です。

 ヤイロの懇願に答えてすぐ出発したものの、大勢の群衆や長血の女性に時間を取られているうちに娘の死の知らせが届きました。ところが「イエスはその話をそばで聞き(別訳「無視して」。傍らで聞く、無視する、聞き流す、の意)…『恐れないで(恐れているのを止めなさい、の意)、ただ信じていなさい(信じ続けなさい、の意)』」と言われました。主イエスは私たちの声をすぐ傍らで聞いておられますが、聞いても益にならない声は聞き流されます。少年ダビデも巨人ゴリヤテと戦う際、人々は「無謀だ」と決めつけましたが、ダビデは「この戦いは主の戦いだ」、主が勝利させてくださる、と確信していました(Ⅰサムエル第17章)。私たちも世の声に翻弄され、神のみことばよりも世の常識を優先してしまいそうになります。現実だけを見つめ、神を見失いそうになります。主イエスはそんな弱い私たちに対して、周りの声など無視して聞き流しなさい、「恐れないで、ただ信じていなさい」と語りかけておられるのです。