2024年2月4日の礼拝メッセージ
聖書箇所 マタイの福音書 9章35~38節
主題聖句:
群衆を見て深くあわれまれた。彼らが羊飼いのいない羊の群れのように、弱り果てて倒れていたからである。
マタイの福音書 9章36節
本日の説教要旨:
「収穫は多いが」
聖書の中で人はしばしば「羊」にたとえられています。人は神によって造られていながら、神のもとから「羊のようにさまよい、それぞれ自分勝手な道に向かって行った」(イザヤ書53:6)。そんな私たちを神のもとに連れ戻すために真の「羊飼い」として来臨されたのが主イエスです。群衆が律法に縛られて「疲れ…重荷を負って」(11:28)、「羊飼いのいない羊の群れのように、弱り果てて倒れていたから」、主イエスは「群衆を見て深くあわれまれた(内臓が揺さぶられる、深い同情心に突き動かされる、の意)」。主イエスは「罪は犯しませんでしたが、すべての点において、私たちと同じように試みにあわれた」ので、「私たちの弱さに同情でき」るお方です(ヘブル4:15、2:18)。私たちが嘆き悲しむとき、真の慰め主である主イエスご自身が私たちのすぐそばで誰よりも深く同情し、悩み苦しみ涙しておられることを忘れてはなりません。
十字架と復活による救いを完成し、私たちを神のもとに連れ戻すために来臨された主イエスの目に見えていたものがあります。反対勢力が勢いを増している中ではありますが、「収穫は多い」、今は間違いなく収穫の時だということです。サマリヤの女性を救いに導いた後、弟子たちに言われました。「目を上げて畑を見なさい。色づいて、刈り入れるばかりになっています」(ヨハネ4:35)。目先の数字や結果ばかりを見つめてうつむくと、伝道の困難ばかりが見えてきます。しかし信仰の目を上げるなら、「色づいて、刈り入れるばかりになってい」る畑が見えてくるはずです。私たちの目はすぐに失望で曇りがちですが、「収穫が少ない」のではなく「働き手が少ない」のです。「収穫は多い」のです。そしてあなたも貴重な「働き手」の一人として必要とされているのです。主イエスのあわれみの心と希望の視点を与えられて、家庭や地域、学校や職場に遣わされて行きましょう。