2024年2月11日の礼拝メッセージ
聖書箇所 マタイの福音書 9章35節~10章4節
主題聖句:
マタイの福音書 9章37節
本日の説教要旨:
「働き手が少ない」
「イエスは祈るために山に行き、神に祈りながら夜を明かされ…夜が明けると…十二人を選び…使徒という名をお与えになった」(ルカ6:12)。神の深い御心に基づく選びでした(ヨハネ15:16)。
それは第一に「ご自分のそばに置くため」でした(マルコ3:14)。主イエスがいかに神と人を愛して生きているか、どのように神と交わり、神に祈っているかを実際に見せることで、彼らをご自分に倣う者に造り変えようとされたのです。私たちも同じように主イエスのそばで養い育てられ続けるなら、次第に主イエスに似てくることでしょう。
しかしそれがゴールではありません。使徒に選ばれたのは、第二に「遣わ」すためでした(マルコ3:14、16:15)。「救わんがための救い」(ブース大将)、私たちが先に救われたのは、私たちを通して誰かが救われるためです。普段はおしゃべりなのに、「この方以外には、だれによっても救いはありません」(使徒4:12)というほどすばらしい福音の宣教となると、どうして途端に無口になってしまうのでしょうか。「主がよくしてくださったことを何一つ忘れ」ず(詩篇103:2)、「時が良くても悪くても」(Ⅱテモテ4:2)、「機会を十分に活かし」(エペソ5:16)、福音を証ししたいものです。
十二使徒の名簿は、主イエスを三度も否認した「ペテロ」に始まり、「イエスを裏切った…ユダ」で終わり、「雷の子という名をつけられた」(マルコ3:17)兄弟もいます。最初から完成した人が選ばれたのではないということです。だからこそユダも選ばれ、私も選ばれたのです。しかしやがてペテロは教会の柱に造り変えられ、「雷の子」ヨハネは愛の人に造り変えられました。主イエスのそばで学び、取り扱われ、造り変えられる恵みがいかにすばらしいものであるかの証明です。あなたもその一人になってほしい、それが神の期待です。
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▼14日(水)よりレント(受難節)に入ります。レントとは、灰の水曜日(レント初日)からイースター前夜までの、6つの主日を除く40日間のことです。イエス・キリストが荒野で40日間断食されたことを覚えつつ、身を慎み、悔い改め、十字架の受難を黙想しながら過ごしましょう。