2024年6月2日の礼拝メッセージ
聖書箇所 マタイの福音書 第12章1~8節
主題聖句:
人の子は安息日の主です。
マタイの福音書 第12章7~8節
本日の説教要旨:
「安息日は人のためにある」
「弟子たちは空腹だったので、穂を摘んで食べ始めた」のを見たパリサイ人たちは、「安息日にしてはならないことをしています」と非難しました。貧しい人や旅人は他人の畑の収穫物で空腹を満たすことが許されていたので(申命記23:24~25)、行為自体に問題はありません。それを安息日に行うのは労働行為に該当するので律法違反だと考えたのです。
それに対して主イエスは第一に、人が危機的状況にあるときには律法よりも人の必要が優先する、とダビデの実例を挙げて反論されました(Ⅰサムエル21:1~6)。第二に、神殿で奉仕する祭司が安息日規定から除外されているなら、主イエスに仕える弟子たちも除外される、という反論です。第三に、安息日よりも人間の方がはるかに大切だ、という反論です。一日で獣と人を創造された神が、人を祝福し聖別するためだけに第七日を用いられたのは(創世記2:2~3)、片手間の祝福と聖別ではないということです。この祝福と聖別にあずかるために、主イエスの復活以降は日曜日に集まって礼拝するようになりました。
造り主を仰がなければ、人は何かの奴隷になります。肉体の疲れは休息で解消されても、魂の疲れはそうはいきません。「わたしのもとに来なさい」(11:28)と言われる主イエスのもとに行くしかありません。主日礼拝ごとに安息日の主の祝福と聖別にあずかり、魂の疲れも癒されリフレッシュされ、再び社会や学校、家庭に遣わされていくのです。