2024年7月14日の礼拝メッセージ

聖書箇所 ローマ人への手紙 第3章21~31節

主題聖句:

神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いを通して、価なしに義と認められるからです。

ローマ人への手紙 第3章24節

本日の説教要旨:

「信仰による神の義」

 これまで異邦人の罪(1:18~32)、ユダヤ人の罪(2:1~3:8)、全人類の罪(3:9~20)を暴露してきた結論は、「義人はいない。一人もいない」(3:10)。それゆえ「今や、律法とは関わりなく…神の義が示されました」。「神の義」とは、神との正しい関係のことで、「神の救い」とも言えます。「神の義」は、アダムが罪を犯した直後から計画され(創世記3:15)、「律法と預言者たちの書(旧約聖書全体のこと、ルカ24:44)によって証しされて」いたものであり、イスラエルが守ることに失敗した「律法とは関わりなく…示され」たものです。

 「忍耐をもって、これまで犯されてきた罪を見逃してこられた」神の忍耐が限界に達したとき、何と神は全人類をさばく代わりに「この方(主イエス)を、信仰によって受けるべき、血による宥めのささげ物と…されました」。罪を見逃すことのできない義なる神が(出エジプト記23:7、箴言17:15)、どうして罪深い人間を義とすることができるのか。それは、主イエスが私たちの罪を一身に背負って十字架につけられ、私たちが受くべき神の怒りとさばきを代わりに受けてくださったからです。その結果、「イエス・キリストの真実によって(22節別訳)…価なしに…イエスを信じる者を義と認める」救いの道が開かれたのです。私たちにとっては「価なしに」ですが、神はそのために御子イエスの死という莫大な「価」を払われました。まさに絶望的な罪の黒雲を一挙に吹き払う「しかし今や」です。