2024年7月21日の礼拝メッセージ
聖書箇所 マタイの福音書 第12章31~37節
主題聖句:
マタイの福音書 第12章33節
本日の説教要旨:
「心に満ちているものは」
主イエスはパリサイ人たちに、「悔い改めて福音を信じ」(マルコ1:15)るなら「どんな罪も冒瀆も赦していただけますが、御霊に対する冒瀆は赦されません」と警告されました。御霊の働きによる悪霊追放を「サタンがサタンを追い出している」(26節)と揶揄し、神の恵みを意図的に拒絶するなら、もはや神の側では手の施しようがないからです。「聖霊を汚す罪、赦されない罪というのは、神のあわれみについて絶望することだ」(ルター)。神が豊かなあわれみをもって招いておられるのに、神のあわれみを拒んで絶望し、主イエスを信じないという不信仰の罪だけは、さすがの神であっても赦しようがないのです。しかしどんなに大きな罪であろうとも、取り返しのつかない失敗であろうとも、神のあわれみにすがって主イエスに信頼するなら赦されます。心の姿勢・態度が問われているのです。
「木の良し悪しはその実によって分か」るように、言葉はそれを語る人の本質を示しています。心の中にあるからこそ、何かの拍子に言葉や態度に表れるのです。外面を整えることで自己満足し、内面にはますます無頓着になっていく、それがパリサイ人の姿でした。「警告には、もう一方でブレーキの役割があります…イエスの警告の言葉も然りです。愛するがゆえに、そうなってほしくないと心から願うゆえに、厳しい警告があるのです。したがって、これもまた、形を変えた招きの言葉と言ってよいでしょう」(中島真実師)。