2024年7月28日の礼拝メッセージ
聖書箇所 マタイの福音書 第12章38~45節
主題聖句:
悪い、姦淫の時代はしるしを求めますが、しるしは与えられません。ただし預言者ヨナのしるしは別です。
マタイの福音書 第12章39節
本日の説教要旨:
「確かなしるし」
主イエスに論駁されたパリサイ人たちは、目に見える確かな「しるし(注「証拠としての奇跡」)」を求めました。神は、超自然現象の中よりも、むしろ平凡な日常生活の中に、より多く、より継続的にご自身を示しておられます。「火の後に、かすかな細い声があった」(Ⅰ列王記19:12)ように。「目に見えない神など信じられない」と言う人は、見えても信じないでしょう。自分の知識や経験、偏見や先入観を持ったまま神を知ろうとしても、いつまでたってもわからないでしょう。事実パリサイ人は、「ヨナにまさる」主イエスを間近に見ていながら悔い改めず、「ソロモンにまさる」主イエスから学ぼうとしませんでした。
特別な「しるし」など求めなくても、パリサイ人たちの目の前には「しるし」に勝る主イエスがおられました。そして今の私たちには、主イエスの十字架と復活という最大最高の「しるし」があり、主イエスについて記した聖書があります。素直で柔らかな心さえあれば、主イエスこそ約束の救い主であることがわかり、信じて救われることができ、神がいかに恵み深いお方であるかがわかるようになります。「動くロクロに動かぬ芯がある」(陶芸家・沈壽官)。ロクロの芯を押さえれば楽に良い器ができる、という意味です。私たちにとって「動かぬ芯」とは主イエスです。何か特別な「しるし」を追い求めるのではなく、「信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい」(ヘブル12:2)。