2024年8月4日の礼拝メッセージ

聖書箇所 マタイの福音書 第12章46~50節

主題聖句:

だれでも天におられるわたしの父のみこころを行うなら、

その人こそわたしの兄弟、姉妹、母なのです。

      マタイの福音書 第12章50節

本日の説教要旨:

「血よりも濃い関係」

 「イエスの母と兄弟たちが」訪ねて来ると、「イエスは弟子たちの方に手を伸ばして」、「見なさい。わたしの母、わたしの兄弟たちです…父のみこころを行うなら、その人こそわたしの兄弟、姉妹、母なのです」と言われました。主イエスご自身、「みこころが天で行われるように、地でも行われますように」(6:10)と祈るよう教え、ゲツセマネの園では「できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしが望むようにではなく、あなたが望まれるままに、なさってください」(26:39)と祈り、御心に従われました。

 「神は、すべての人が救われて、真理を知るようになることを望んでおられます」(Ⅰテモテ2:4)。「すべての人が救われ」ることは、神が「望んでおられ」る「みこころ」です。悔い改めと信仰によって「だれでも」神の家族とされ、神を愛し人を愛する信仰生活が始まります(22:37~40)。「神のみこころは…聖なる者となることです」(Ⅰテサロニケ4:3)。「今日もイエスが一緒に行ってくださらないような所に行くことがありませんように。イエスに覗かれて困るようなことを心に描きませんように」(ベイリー)。「いつも喜んで…絶えず祈り…すべてのことにおいて感謝」するのは、「神があなたがたに望んでおられることです」(Ⅰテサロニケ5:16~18)。私たちを祝福しようとする神の愛のご計画とも言える「神のみこころ」に従うことは、窮屈なことでも不自由なことでもなく、最善の道、祝福の道なのです。