2024年8月11日の礼拝メッセージ

聖書箇所 マタイの福音書 第12章43~45節

主題聖句:

私たちは、この宝を土の器の中に入れています。

      コリント人への手紙第二4章7節

この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのことです。

      コロサイ人への手紙1章27節

本日の説教要旨:

「初めより良いか悪いか」

 主イエスによる悪霊追放や病の癒やしがゴールではなく、むしろその後こそ大切です。悪霊追放された人の心身は健全になり、「家は空いていて、掃除されてきちんと片付いています」が、あくまでも中立的な空洞状態で、その後何を迎えるかで良くなるか悪くなるかが決定します。パリサイ人や律法学者の外面は確かに立派でしたが、主イエスを拒絶した心は空洞状態であったため、妬みから主イエスを十字架につけることになりました。

 人生を有意義に送りたいと願い、真理を真剣に追い求めて生きる人は少なくありません。しかし聖書の教えが根底にない異教国・日本では、どれが真の神なのか、何が真理なのかわからず、さまよい続ける人が多いのが現実で、真面目で有能な人が多数、カルトや異端の犠牲になっています。その責任の一端は私たちにもあります。どれが真の神で、何が真理かを知る私たちが、そのことを証しする責任を十分果たしていないからです。カルトや異端が働く余地がないほどに、地域に日本に世界に福音を満たしていく責任が私たちにはあるのです。そのためにまず、「あなたがたが切り出された岩、掘り出された穴に目を留めよ」(イザヤ51:1)。自分はどういうところから救い出されたのか、神の愛と恵みのみわざを思い起こし、どんなにすばらしい宝を内に宿しているか再確認したいものです(Ⅱコリント4:7、コロサイ1:27)。そして「初めの愛」(黙示録2:4)に生き続けましょう。