2024年8月18日の礼拝メッセージ

聖書箇所 マタイの福音書 第13章10~17節

主題聖句:

しかし、あなたがたの目は見ているから幸いです。

また、あなたがたの耳は聞いているから幸いです。

      マタイの福音書 第13章15~16節

本日の説教要旨:

「主イエスのたとえ話」

①たとえは真理をわかりやすくする

 「たとえ(そばに置く、の意)」とは、抽象的な真理のそばに誰もがよく知る事柄を置くことです。それによって真理がわかりやすくなり、聞く耳のある者にとってはパッと真理を照らす光となります。主イエスが「たとえ」によって伝えたかったのは、「天の御国」=「神の国」「御国」(神の恵みによる支配)についてです。天の御国は、主イエスの来臨によってすでに地上に実現し、信じる者の心の中や教会の中にも実現しています(ルカ17:20~21)。主イエスは人々に天の御国について教え、そこに導き入れるためにたとえを用いられたのです。

②たとえは真理を隠す

 「たとえ」は真理を隠すためでもあります。いかに平易に語っても、聞く耳のない者にとっては猫に小判、結果的に真理が隠されることになります。イザヤの預言(6:9~10)のとおりです。パリサイ人や律法学者は主イエスの説教を直接聞きながら、「聞くには聞くが、決して悟ることはない。見るには見るが、決して知ることはない」状態でした。そうならないため必要なのは、「立ち返る(方向転換する、の意)」(15節)、みことばを聞く心の向きを変えることです。「みことばの戸が開くと 光が差し 浅はかな者に悟りを与えます」(詩篇119:130)。虚心坦懐にみことばに向き合うなら、私たちが「みことばの戸」を無理矢理こじ開けなくても、みことばのほうからごく自然に戸を開いて、私たちに「悟りを与え」てくれるのです。

※本礼拝のYoutube動画はございません。