2024年10月6日世界聖餐日の礼拝メッセージ
聖書箇所 マタイの福音書 第13章24~30・36~43節
主題聖句:
毒麦を抜き集めるうちに麦も一緒に抜き取るかもしれない。だから、収穫まで両方とも育つままにしておきなさい。
マタイの福音書 第13章29~30節
本日の説教要旨:
「毒麦を抜かないのは」
主イエスによって「世界」に蒔かれた「良い種」から芽を出し育ったのが「御国の子ら」、主イエスを信じ受け入れた者たちです。しかしこの「世界」には神を拒絶した「毒麦」=「悪い者の子ら」もいて、この共存状態は神の国が完成する終末まで続きます。義であり主権者である神がどうして毒麦を放置しておられるのか、その疑問に答えるのが「毒麦の譬え」です。
良い麦と毒麦は初めの頃は見分けがつきませんが、違いがわかる頃には両方の根が絡み合っていて、毒麦を抜き取ろうとすると良い麦まで台無しにしかねません。すぐに毒麦を抜き取らないのは、実は良い麦のためなのです。主イエスの時代もやはり良い麦と毒麦が混在していました。主イエスに従う弟子たちもいれば、敵対する宗教指導者たちもいました。主イエスの十二弟子の中にさえ裏切者ユダが混じっていました。「良い麦」=「御国の子ら」に対する愛こそ、この譬え話の中心です。
そのことを聞いても私たちは、目の上のこぶが目障りで、すぐにでも排除しようとしがちです。しかしそんなときの私たちには大事な視点が欠けています。31~33節の二つの譬え話の共通点は、「小さな始まりと大きな終わり」ということです。神の国の驚くべき生命力を見失い、疑っているから、自分たちの知恵と力で何とかしなければ、と躍起になるのです。「収穫まで両方とも育つままにしておきなさい」とは、主イエスが神の国の生命力に信頼しているがゆえのことばです。私たちも、神の国の生命力と神の愛にもっと信頼すべきです。