2024年10月20日の礼拝メッセージ

聖書箇所 マタイの福音書 第13章44~52節

主題聖句:

天の御国は畑に隠された宝のようなものです。その宝を見つけた人は…喜びのあまり、行って、持っている物すべてを売り払い、その畑を買います。

      マタイの福音書 第13章44節

本日の説教要旨:

「神の国の絶大な価値」

①神の国(神の恵みによる支配)の発見

 農夫は畑で作業中に偶然宝を掘り当て、商人は良い真珠を長年捜し求めた末やっと見つけました。人は各々違った道を通って神の国を発見することを暗示しています。マタイは前者の代表例で、収税所で働いているとき予期せず主イエスに出会いました(マタイ9:9)。パウロは後者の代表例で、律法による義を長年求めていましたが、復活の主イエスに出会い、信仰による義を得ました(使徒9:1~19)。神の国は、自然(詩篇19:1)と歴史、聖書と主イエスを通して啓示されていますから、心の目を開いて見るなら、神を見出せます(使徒17:27)。

②神の国の獲得

 農夫も商人も「行って、持っている物すべてを売り払い」、見つけたものを獲得しました。神の国は、全財産をはたいてでも獲得すべき絶大な価値がある、ということです。パウロには誇りとするものが人一倍ありましたが、「キリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに…ちりあくただと考え」るようになりました(ピリピ3:4~8)。「持っている物すべてを売り払い」の直前に「喜びのあまり」とあります。神の国に生きるとは、嫌々従うというのではなく、「喜びのあまり」することなのです。47~50節の譬えは、今こそ神の国の招きに応えるべきではないか、と語りかけています。「私は決して犠牲を払ったのではありません。天にある神の栄光の御座を捨てて、ご自身を私たちのために与えてくださった主の大きな犠牲を思い起こすならば、私の払った犠牲など語るべきではありません」(リビングストン)。